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静岡地方裁判所 昭和51年(ワ)444号 判決

原告 長島誠恵 外三名

被告 静岡県

主文

被告は、原告長島誠恵に対し金五八〇万一八八八円、同長島宗紀、同長島多恵に対し各金五三〇万一八八八円、同長島寿子に対し金一一〇万円、及び右各金員に対する昭和五一年七月一二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は原告長島誠恵に対し金二四、八二〇、四〇四円、原告長島宗紀に対し金二四、八二〇、四〇四円、原告長島多恵に対し金二四、八二〇、四〇四円、原告長島寿子に対し金四六〇万円、並びに各原告に対し右各金員に対する昭和五一年七月一二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

昭和五一年七月一一日午前九時五〇分頃、静岡県道四五号下田松崎線静岡県下田市大字相玉五一五番地先の松崎方面から下田方面に向つて右に約六〇度の急カーブを抜けた右側が無名の小さな沢左側が稲生沢川にはさまれた道路(以下「本件道路」という。)上で、先ず本件道路の左側車線が幅三メートル長さ約五メートルにわたつて陥没し、次いで生じた本件道路の崩壊とこの決壊に伴う土石を含む鉄砲水によりその時たまたま本件道路上を松崎方面から下田方面に向つて、普通乗用自動車(トヨタカローラ四六年型登録番号静五五る-二三三八、以下「事故車両」という。)を運転走行中の訴外亡長島一道(以下「被害者」という。)は右自動車と共に濁流に押し流されこれに巻き込まれて同日午前一〇時頃死亡した(以下「本件事故」という。)。

2  被告の責任

本件道路は被告がこれを設置しかつその管理をしているものであるが、その設置ないし管理には次のような瑕疵があつた。

(一) 本件事故現場の道路には構造上の瑕疵があつた。即ち、本件道路は前記の無名の小さな沢を直角に跨いで構築されているが、本件事故当時道路の南側(沢上流側)の法面のうち下田寄りの法面部分はコンクリート張で表装されていたが、松崎寄りの法面部分は雑木が疎生する傾斜地そのままの状態であり、又道路の北側(沢下流側)の法面は急傾斜をなして直接稲生沢川に接していたにもかかわらず、道路基盤をなす盛土はそのままの雑草が生える土手をなしていた。ところで、盛土の法面附近に湛水が生じた場合には、盛土内に水圧のため浸透水が通り反対側盛土の法尻から湧水を生じ、これによつて盛土資料を流し、湛水とは反対側の法尻から決壊を始め、次第に上部の土の崩壊が起り盛土全体が押し流されるという現象を生ずることが指摘されており、これを防ぐためには、湛水すべき側の法面にコンクリート張などをなして湛水の水圧による水の浸透などを遮断するなどの措置が必要とされている。本件道路の基底部には幅一・二メートル、高さ約〇・八メートルの通水溝があり、沢の水が右通水溝を流れるようになつていたが、流下物のため通水溝がつまつて湛水を生ずる場合があり、本件事故当時道路の北側の法面に陥没・崩壊が生じていた。従つて、本件道路部分については、その構造上安全性に欠ける瑕疵があつたといわなければならない。

(二) 本件道路の管理についても次のような瑕疵があつた。即ち、前記のとおり、本件道路の基底部には暗渠の通水溝があつて、沢の水が流れるようになつていたが、右通水溝の天端には厚さ〇・三メートル、幅〇・二五メートル、長さ一・五メートルの凝灰岩の切石を並べ渡してあり、底部はケンチ石をタタラ積みにしてあつた。ところで、右通水溝の天端の切石のうち北側寄りの二枚が昭和五一年三月以前に析損して通水溝内に落ち込み、通水溝の当該底部がえぐられて深くなつていたのに、その修復がなされず、又道路の山側(南側)の通水溝の流入口附近に木の根株や廃材が放置されていたのに、その除去がなされなかつたため、本件事故当日の朝方来降り続いた雨水によつて右の木の根株や廃材などの流下物が通水溝内の天端の切石の析れ落ちている部分につまり、通水溝を閉塞して、大量の沢水の湛水を生じた。そして、この水圧により、最低部に位置する前記天端石の析損部分の上部覆土が徐々に流出して、道路基底部がえぐられ、大きな空洞が生じ、析柄同所を通りかかつた事故車両の重みによつて本件道路の北側部分が陥没・崩壊し、本件事故が発生するに至つた。

被告(下田土木事務所担当者)は、下田市相玉地区の区長職にある訴外藤田孝から昭和五一年四月以降再三にわたつて、同年三月初旬発生した本件道路の陥没により同所に埋設された水道管が露呈したままになつており、又増水の度に通水溝が閉塞して湛水するとしてその改修を求められたのにかかわらず、本件事故の発生に至るまで道路の危険を未然に防止するための改修を行なわなかつたのである。従つて、本件道路の管理についても瑕疵があつたといわなければならない。

3  原告らの損害

(一) 被害者と原告らの身分関係

原告長島誠恵は被害者の妻、原告長島宗紀は被害者の長男、同長島多恵は被害者の長女、同長島寿子は被害者の母である。

(二) 原告らは本件事故が道路の決壊により自動車ごと巻き込まれて死亡するという不慮の事故によるものであり、事故に引続きなされた遺体の探索及び遺体発見当時の泥と水流による損傷により受けた精神的打撃は甚大なものであり、その苦痛は到底筆舌に尽くせるものではなくこれを金銭に評価することは困難であるが、少なくとも原告らはその固有の慰藉料として各自金四〇〇万円の請求権を取得した。

(三) 被害者は本件死亡事故により少なくとも金六〇〇万円の慰藉料請求権を取得し、原告長島誠恵、同長島宗紀、長島多恵は右請求権を相続分に応じて相続により取得した。

(四) 逸失利益

被害者は静岡県賀茂郡賀茂村にある東海山城福寺の本山任命による住職の地位にあり、死亡当時は宗教法人東海山城福寺の住職としての給与は一か月平均八万円を下らない額であり、かつその他壇家からの布施、瑞泉寺等での役僧による収入その他の雑収入として一か月平均一二万円を下らない収入を得ていた。被害者は本件事故による死亡当時三三才であり、僧職者として以後少なくとも四〇年間は死亡当時の収入を下らない額を収入として得ることができたにもかかわらず本件事故に遭遇してこれを失つた。被害者の事故当時の生活費は一か月金二万円であつたので、事故当時の収入二〇万円からの生活費を控除した金一八万円を以後四〇年間は利益として得ることができたものである。これをホフマン式計算法に従つて計算すれば、死亡時における現価額は金四六、七四八、八八〇円となる。被害者は本件事故により右金額相当の利益を失つたので、被害者は被告に対し同額の損害賠償債権を取得し、原告長島誠恵及び同宗紀同多恵は被害者の相続人として、右損害賠償債権の各三分の一を相続により取得した。

(五) 弁護士費用

原告らは、弁護士である原告訴訟代理人に本件訴訟を委任し勝訴額の一五ペーセントを支払う旨約した。本件のような訴訟は高度の専門的知識と技術を要するものであり、弁護士に委任しなければこれを行うことは事実上不可能であるから、原告らが右弁護士らに支払うべき弁護士費用は本件不法行為と相当因果関係にある損害であり、被告はこれを負担する責任を負う。

4  結論

よつて、被告に対し、原告長島誠恵、宗紀、多恵はそれぞれ金二一五八万二九六〇円及び弁護士費用として金三二三万七四四四円計金二四八二万〇四〇四円、原告長島寿子は金四〇〇万円及び弁護士費用金六〇万円計金四六〇万円及びこれらに対する不法行為の翌日である昭和五一年七月一二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項のうち、原告ら主張の日にその主張の場所において道路の崩壊が生じ、事故車両に乗車していた被害者が死亡したことは認めるが、事故発生の時刻は争う(その時刻は七月一一日午前一〇時過ぎである。)。事故の態様については知らない。

2  同2項冒頭のうち、被告が本件道路の設置及び管理をしていることは認めるが、その設置ないし管理に瑕疵があつたとの点は争う。

同項の(一)のうち、本件道路の基底部には暗渠の通水溝があり、沢の水が右通水溝を流れるようになつていた(但し右通水溝は上部の幅一・三メートル、下部の幅〇・九五メートル、高さ一・一メートルであつた。)ことは認めるが、その余は争う。

同項の(二)のうち、前記通水溝の上部(天端)及び底部の構造が原告ら主張のとおりであつたこと、本件事故当時右通水溝の天端の切石の一部が析損していたことは認めるが、その余は争う(通水溝の天端の切石の一部が析損していたが、底部には何ら影響はなかつた。)。

3  同3項のうち、(一)の事実は認める。(二)は争う。(三)のうち相続関係は認めるが、その余は争う。(四)のうち被害者が死亡当時住職の地位にあり、三三才であつたことは認めるが、その余は知らない(但し生活費の控除割合は過小である。)。(五)は知らない。

三  被告の主張及び抗弁

1  本件道路の崩壊は、後述の異常な集中豪雨や道路の場所的環境等に因るのであつて、その降雨量及び道路の位置、形状等の諸条件を総合考慮すると、不可抗力による崩壊というべきである。即ち、

昭和五一年七月一一日、静岡県下、特に伊豆地方に集中豪雨が降つた。七月一〇日午前八時前後から静岡県において雨が降り始め、一一日朝になると梅雨前線が北上して特に伊豆方面に大雨を降らし、一〇日九時から一二日九時までの降雨量の分布は、伊豆半島の中・南部で四〇〇ないし五〇〇ミリであつた。下田地方においては、一〇日一五時頃から雨が降り始め、その降雨量は次のとおりであつた。

時刻   時間雨量(ミリ) 連続雨量

一一日 五-六   一四      二一

六-七   一八      三九

七-八   二八      六七

八-九   四四     一一一

九-一〇  三二     一四二

一〇-一一  三七     一八〇

一一-一二  五八     二三八

一二-一三  一五     二五三

右によつて明らかなように、八時ないし一二時頃の雨の降り方は最も激しく、時間雨量四〇ないし五〇ミリというのはまさに満水にしたバケツを逆さにしたような降り方であり、当日の豪雨により災害を受けたのは、本件事故現場のみでなく、他にも相当数に及んでいるのである。

本件道路は下田市街地から八ないし一〇粁位離れた山間部にあり、北側に稲生沢川があり、南側が斜面(山)になつていて山裾に道路が構築されている。本件事故現場の南側にある沢の部分は平時には殆んど水量のない枯沢というべきもので、民地を流れて道路下の通水溝に通じている。そして、豪雨があつた場合、雨水はその地域の枯木や根株、ゴミ、石、砂等を一緒に流下させ、このような障害物や泥を含んだ水のため、通水溝の流下能力は著しく低くなる。本件事故現場において本件事故当時通水溝が閉塞した主たる原因は、民地から流下してきた枯木や根株その他のゴミがつまつたことによるのであつて、これに抗し得る方法はない。原告ら主張の切石の析損が閉塞に全く無関係とはいえないにしても、それは殆んど無視し得る程度のものである。

以上の諸条件を総合考慮すれば、本件道路の崩壊は不可抗力によるものであつて、被告による道路の設置ないし管理に瑕瑕があるとすることはできない。

2  本件事故は、被害者が被告による後述の道路通行規制に従わなかつたために生じたものである。即ち、被告は、その管理にかかる道路の異常気象時における危険防止を図るため、「異常気象時における道路通行規制実施要綱」(以下「規制要綱」という。)を定めており、これに基づく通行規制基準によれば、本件事故現場を含む県道下田松崎線については、松崎町から小杉原、加増野、相玉と経由して、下田市に向う道路の内、昭和四七年度から小杉原・加増野間五・九キロを通行規制区間として、連続雨量一〇〇ミリを超える場合においては、「通行止」とすることとされていた。

本件道路を管轄する下田土木事務所においては、七月一一日午前八時半頃、連続雨量が一〇〇ミリを超えたので、同事務所松崎支所に連絡して、下田松崎線の北の入口に当る松崎町宮の前橋附近に交通止めの規制標識を設置することを指示した。同支所は、遅くとも午前九時までに同所に道路法第四六条第一項の規定にもとづく道路標識、区画線及び道路標示に関する命令第二条別表第一の番号三〇一の規制標識を設置した。

他方、下田土木事務所(松崎支所)は松崎町小杉原の道路情報モニター訴外木伏栄に連絡して、同所にある道路情報板(下田方面に進行する車両に対する規制)に「通行止」の表示をするよう指示し、遅くとも午前八時四〇分頃までにその旨の表示がなされた。

しかるに、被害者は、既に出されていた前記の規制標識及び道路情報板による規制指示を無視して、敢えてその危険において本件道路を進行し、本件事故に遭遇したのである。 四 被告の主張及び抗弁に対する認否

1  前記三の1は争う。まず被告は本件事故当日の降雨量を問題にするが、事故発生の午前九時五〇分頃までの連続雨量は一三〇ミリ程度に過ぎない。本件道路はバス路線になつているうえ、観光客も多く通行する一級舗装道路であるから、一三〇ミリ程度の雨量に耐え得ず崩壊するようでは、欠陥道路というほかはない。また被告は、通水溝閉塞の主たる原因は民地からの流下物がつまつたことによるのであつて抗し得る方法がなかつた旨主張するが、被告(下田土木事務所担当者)においては、前記沢に本件事故以前から既に根株やバラツク建の建物が存在していたことは十分認識できた筈であるし、通水溝の天端の切石が析損しており、被告としてもこれに危険を感じていたのであるから、予算の都合がつかなかつたとしても、通水溝入口より山側寄りに網を張るなど極めて安価に流下物の流入を阻止する方法を講ずべきであり、これを講ずることは可能であつたのである。

2  前記三の2のうち、被告主張のとおりの規制要綱及び通行規制基準の定められていることは認めるが、被告主張の時刻にその主張の規制標識及び道路情報板による規制指示の出されたことは否認する。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件事故発生に至る経緯

昭和五一年七月一一日午前本件道路上で道路の崩壊が生じ、自動車に乗車していた訴外亡長島一道(被害者)が死亡したことは、当事者間に争いがない。

そこで、本件事故発生に至る時間的経緯及びその態様についてみるに、原本の存在及び成立の争いのない甲第四号証の一、二、三、成立に争いのない甲第九号証、乙第一、第一三号証、原告らが説明する趣旨の写真であることに争いのない甲第一号証の一ないし一四、第一一号証、証人藤田孝、同萩原衛、同森永節代、同山本福吉の各証言及び原告本人長島寿子の尋問の結果並びに検証の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

被害者は、本件事故当日静岡県賀茂郡河津町に赴くべく、午前八時半過ぎ頃同郡賀茂村宇久須の自宅(城福寺)を出発し、事故車両を運転して、途中同郡西伊豆町仁科にある知人宅に立寄つたうえ、午前九時三〇分前後頃同郡松崎町宮の前橋付近を、午前九時四〇分前後頃同町小杉原を経て県道下田松崎線(以下「本件県道」という。)を下田方向に進み、午前一〇時少し前頃本件事故現場に差しかかつた。現場付近の本件道路は、別紙図面表示のとおり松崎方向から下田方向に向つて右に急カーブし、カーブを抜けると前方に南方から北方に流れる無名の小さな沢があり、本件道路は右の沢をほぼ直角に跨ぐ形に構築されていた。そして、本件道路の基底部には暗渠の通水溝があつて、沢の水が南側から北側(稲生沢川)に流れるようになつていたが、本件事故当時は大量の雨が降り、しかも通水溝の通水能力が著しく低下し、閉塞に近い状態にあつたため、道路南側の沢に湛水し、本件道路の南側走行車線は冠水して僅かに北側の走行車線のみが冠水を免れている状態にあつた。そこへ北側(左側)走行車線を進行して来た事故車両が通水溝の真上附近に差しかかると、突如直下の道路が陥没崩壊して、右車両はそのまま沈むように約六メートル下の沢底に落下した。その時事故車両の直後を進行して来た訴外森永節代は急停車して、崩壊個所の反対側(東側)に居合わせた訴外藤田孝に異変を知らせ救助を求めた。そして、藤田が救助用ロープを取りに戻つた途端、南側残存道路下部から泥水が奔流となつて噴出し、被害者を車両諸共稲生沢川に流し去り、これがため被害者はその頃同所で溺死するに至つた。

以上の事実が認められ、証人萩原衛の証言中同人が本件事故当日本件事故現場を自動車で通過した時刻が午前一〇時ないし午前一〇時一〇分頃であつたとする部分はたやすく採用できず、他には該認定を左右するに足りる証拠はない。

二  被告の責任

1  本件道路の設置者及び管理者が被告であることは、当事者間に争いがない。

そこで、まず本件道路の設置及び管理の状況並びに崩壊の原因について判断するに、前掲甲第一号証の一ないし四、七ないし一四、同第四号証の一、二、同第一一号証、乙第一、第一三号証、原本の存在・成立ともに争いのない甲第一二号証、成立の争いのない乙第二号証、第八号証の二、第一四、第一七号証、第一九号証の一、二、証人岡村栄の証言により被告が説明する趣旨の写真であると認められる乙第四号証の一、二、並びに証人藤田孝、同笹本仁吉、同森永節代、同岡村栄、同山本福吉の各証言及び検証の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

本件道路を含む本件県道は、南伊豆の中心地である下田市と西伊豆の中心地である松崎町とを結ぶ主要地方道であり、定期バスの路線となつているほか、平素は地元民や観光客の自動車の往来も少なくなかつた。本件事故現場は、下田市役所の北西約五・二キロメートル、松崎町役場の南東約一三・五キロメートルに位置し、本件県道のうち本件事故現場附近は、昭和三〇年に稲梓村道として路線の認定がなされ、昭和三三年に静岡県道に移管され、以後被告においてその管理に当つてきた。

本件事故現場の北側は、前記道路とほゞ並行して流れる稲生沢川に続く谷状を呈し、又現場の南側は、更にその南方にある通称藤原山に向つて南高北低の傾斜地をなしており、同所にはほゞ南から北に向つて流れる平素は水量の極めて乏しい無名の小さな沢があり、本件道路は右の沢をほゞ直角に跨ぐ形に土盛して構築され、その基底部には、本件道路が県道に移管する以前から上部の幅一・三メートル、下部の幅〇・九五メートル、高さ一・一メートルの暗渠の通水溝があつて、沢の水が稲生沢川に向つて流れるようになつていた。本件道路は、昭和四二、三年頃道路の幅員が拡張され、同時にそれまで非舗装であつたのが舗装(簡易舗装)され、次いで昭和五一年六月頃再度舗装(高級舗装)され、通水溝についても、道路の拡幅に伴ない、その長さが長くなつたものの、その幅や高さは従前と同様であつた。ところで、右通水溝は、天端には切石が並べ渡されていたが、本件事故以前に天端の切石のうちの道路中央部直下附近の一枚位が折損して斜めに落ちかかり、その個所の底部はえぐれて水の溜つた状態になつていた。そして、本件道路の管理にあたつていた被告の下田土木事務所担当者は、本件事故発生前の昭和五一年六月頃道路パトロールの結果右天端石の欠損の事実を知り、パトロール日誌にその事実を記載すると共に、見取図や写真をも添付してその事実を上司に報告し、右報告を受けた同土木事務所技監岡村栄は、右天端石の欠損による通水溝の閉塞率を右報告を基礎として計算した結果、約二〇パーセントと判断し、道路の安全管理の面からこれを早急に改修することが望ましいと考え、予算の令達を待つて改修を実施しようとしていた矢先に本件事故が発生した。

本件事故当時、本件道路の南側(沢上流側)の法面は、下部が石積擁壁とされ、その上部のうち下田寄りの部分はコンクリート張で表装されていたが、松崎寄りの部分は土盛のままであり、又道路北側(稲生沢川側)の法面は下部は石積擁壁であつたが、上部は道路基盤をなす盛土そのままの雑木の疎生する土手となつていた。本件事故現場においては、本件事故以前には、道路の全面決壊を生じたことはなかつたが、昭和五一年四月以前に本件道路のうち北側(稲生沢川寄り)の路肩が幅約二メートル、最深部約一・五メートルにわたつて陥没崩壊し、路肩に埋設されていた水道管が露出するなどして、これを改修したことがあり、又本件事故当時本件道路の南側の沢の流入口附近には幹の直径三〇センチメートル位で広く根の張り出た木の根株が放置され、更に近くの沢地(民有地)にはバラツク建の廃屋が放置されていた。

本件事故当日(昭和五一年七月一一日)は、梅雨前線の接近により静岡県下、特に伊豆半島中・南部一帯に集中豪雨があり、下田市東中所在の下田土木事務所本所における観測によると、同日午前七時から八時までの時間雨量二八ミリ(前日午後三時来の連続雨量六七ミリ)、午前八時から九時までの時間雨量四四ミリ(連続雨量一一一ミリ)、午前九時から一〇時までの時間雨量三二ミリ(連続雨量一四三ミリ)で、同日午後一時までに連続雨量が二五三ミリに達した。本件事故現場附近も当日は朝から激しい雨が降り続き、前記沢の上流から土石を伴なつた大量の雨水が流れてきて、本件道路の南側の沢地に溜まり、前記天端石の欠損により通水溝の通水能力が低下するとともに、通水溝の流入口附近にあつた前記の根株や沢上流から流出してきた土石が通水を妨げたこともあつて、同日午前八時頃には本件道路の南側の沢地は湛水状態になり、そのため本件道路の南側の走行車線は冠水し、僅かに北側の走行車線のみが冠水を免がれている状態であつた。そこで、その頃現場にかけつけた地元相玉地区の区長藤田孝は、そのような状況のもとでは南側の走行車線を閉鎖するのが適当であると考え、本件事故現場の南側走行車線上に工事用の標識を設置して、通過車両を北側走行車線に誘導した。その後も午前一〇時近くまで豪雨をついて同所を通過する車両が何台もあり、本件事故発生の少し前には、訴外笹本仁吉の運転する堂ケ島午前八時五五分発下田行の東海自動車の路線バスがほゞ定時に本件道路を無事通過したが、午前一〇時少し前頃北側(左側)走行車線を進行して来た事故車両が通水溝の真上附近に差しかかると、突如直下の道路(北側走行車線)が陥没崩壊して、右車両はアスフアルト舗装に乗つたまゝ沈むように沢底に落下し、救助する暇もないうちに南側残存道路下部から泥水が奔流となつて噴出して、右車両を一挙に稲生沢川まで押し流し、右噴流によつて湛水されていた沢の水位は約一・五メートル下がつたが、その後再び閉塞し、同日午前一一時半頃再度増加した水圧により道路残存部分が全面崩壊した。

以上の事実が認められ、他には右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の事実によれば、本件道路の崩壊の原因は、集中豪雨により土石を伴なつた大量の雨水が道路南側の沢に流入し、前認定のとおり通水溝の通水が妨げられていたため、道路南側の沢が湛水し、そのため道路南側の法面のうちコンクリート張で表装されていない部分及び天端石の欠損部分から、道路の盛土内に水圧により浸透水が通り、反対側(北側)盛土の法尻から湧水を生じ、これによつて盛土資料が流され、北側の法尻から決壊を始め、次第に上部の土の崩壊が起つたことにあるのであつて、事故車両が本件道路上に差しかかつたときには既にその直下の土の崩壊がかなり進んでおり、車両の重みに耐えられず、直下の北側走行車線がまず陥没崩壊したものと推認することができる。

以上のとおり、本件道路は、前記の無名の沢を横断する形に土盛して構築されたものであり、沢の水はその基底部に設けられた通水溝によつてのみ排水される構造になつていたが、右通水溝の天端石が欠損しその通水能力が低下するとともに同所が土石等によつて閉塞しやすくなつており、一旦通水溝が閉塞して道路南側法面に雨水が湛水した場合、同法面のうちコンクリート張で表装されていない部分及び天端石の欠損部分から雨水が本件道路の盛土資料に浸透し、稲生沢川側法面から崩壊する危険が十分考えられたのであるから、被告としては天端石の欠損を修理して通水量を十分にし、通水溝が閉塞して道路南側法面に雨水が湛水することを防止する措置を講じるか、或いは湛水した場合にも雨水が盛土資料に浸透することを防止する措置を講ずる等、本件道路崩壊の危険を未然に防止する措置を講じなければならなかつたものというべく、右は被告がその管理する道路を常時良好な状態に維持修繕をなし、もつて交通の安全を確保しなければならない管理行為の内容に含まれるものと解されるところ、被告はこれを怠り、天端石の欠損を直ちに修理せず、その他危険防止の措置を講じなかつたため、通水溝の閉塞、道路南側法面への雨水の湛水、同法面及び天端石の欠損部分からの雨水の盛土資料への浸透の経過をたどり、本件道路が崩壊して本件事故が発生したものであるから、被告の道路管理には瑕疵があつたと認めるのが相当である。

2  被告は、本件道路の崩壊は異常な集中豪雨や道路の場所的環境等に因るのであつて、降雨量その他の諸条件を総合考慮すると、不可抗力による崩壊であり、本件道路の設置・管理には瑕疵はない旨主張する。

本件事故当日本件事故現場附近に記録的な集中豪雨があり、これにより土石を伴なつた大量の雨水が道路南側の沢に流入して湛水し、これが道路崩壊の原因となつたことは前段説示のとおりである。ところで、本件事故発生直後の午前一〇時頃までの連続雨量についてみるに、本件事故現場から南東へ四キロ余の地点にある下田土木事務所本所における観測によると、同日午前一〇時までのそれは一四三ミリであつたこと前認定のとおりであるから、本件事故現場における降雨量も右と大差はなかつたものと推認されるところ、原本の存在・成立ともに争いのない甲第六号証の一ないし一一、第七号証の一ないし一〇によれば、伊豆地方においては、明治三五年以降昭和五〇年までの間に連続雨量が二〇〇ミリを超えた例が三〇回以上(うち三〇〇ミリを超えた例が一〇回以上)に及んでいることが認められるから、前記の一四〇ミリ程度の雨量は十分にその予測が可能であつたということができる。従つて、被告においては、本件道路の設置・管理にあたり、右の程度の降雨に耐えられるようにすべきであつたといわなければならない。

更に、被告は本件事故直前の時間雨量を問題とするが、本件事故当日の下田土木事務所本所における午後一時までの連続雨量は二五三ミリにも達したものの午前一〇時までのそれは一四三ミリにすぎないこと、及び本件道路が崩壊したのはほゞ本件事故発生時であることは前認定のとおりであるから、右の事実からすれば、本件道路はその通水溝が完全に機能し閉塞状態に陥らなかつたならば、午前一〇時頃までの雨量では未だ崩壊には至らなかつた(即ち、本件道路は同日の豪雨により結局は崩壊を免れないとしても、その時刻は本件事故発生の午前一〇時少し前よりも更に遅れ、事故車両は現場を無事に通過し得た。)と考えられる。

してみれば、本件道路の崩壊は不可抗力によるものであつて、その設置・管理に瑕疵はなかつたとの被告の主張はたやすく採用し難い。

3  次に、被告は、本件事故は被害者が被告による道路通行規制に従わなかつたために生じたものである旨主張するので、以下まず一般的に本件県道の通行規制及び事故当日の通行規制等についてみたうえで、被告主張の宮の前橋附近及び小杉原の通行規制の標識の設置等について検討することとする。

(一)  本件県道の通行規制について

成立に争いのない乙第三号証及び証人芹沢聲宏の証言によれば、次の事実が認められる。

被告は、昭和四四年八月、異常気象時における一般国道及び県道について道路管理体制の強化と道路災害による事故防止の徹底を図るため、異常気象時における道路通行規制要綱及びその運用要領並びに道路情報モニター制度運用要領を制定し、これに基づき、本件県道のうちそのほゞ中間に位置する下田市加増野から賀茂郡松崎町小杉原までの五・九キロメートルの区間については、異常気象時に落石、土砂崩れ、路肩崩れの危険箇所が五か所あるため、連続雨量が一〇〇ミリを超えたときには通行止とする旨昭和四七年度に指定した。右指定に基づき、本件県道の管理を担当する下田土木事務所は、下田市にある同事務所本所(以下「本所」という。)と賀茂郡松崎町にある同所松崎支所(以下「松崎支所」という。)において雨量の観測をなし、そのいずれかにおいて連続雨量が一〇〇ミリを超えたときには(右要綱上は松崎支所のみが気象観測所とされているが、右のとおり運用されていた。)、同土木事務所長において加増野・小杉原間につき通行止の規制を実施することとし、その旨所轄警察署長、県道路維持課、各市町村、バス会社等に通知するとともに、あらかじめ委嘱してある加増野及び小杉原の道路情報モニター(以下「道路モニター」という。)に対し指示依頼して、同所のいわゆるB型手動式簡易交通情報板(以下「道路情報板」という。)に加増野・小杉原間を通行止とする旨の道路情報表示をなすこととしていた(加増野の道路モニターには本所から、小杉原のそれには松崎支所から指示依頼がなされていた。)。小杉原の道路モニターには同所に居住する木伏栄が委嘱され、同人には情報板の管理及び保管料として月額一、七〇〇円の手当が、指示依頼のつど一回につき四〇〇円の手当が支払われるものとされていた。

(二)  本件事故当日の通行規制について

成立に争いのない乙第八号証の一、前記証人芹沢、証人鈴木紀有、証人山田了一、証人萩原衛の各証言によれば次の事実が認められる。

本件事故当日の午前八時三〇分頃、本所において連続雨量が一〇〇ミリを超えそうになつたので、本所職員芹沢聲宏は直ちに松崎支所職員鈴木紀有と電話で協議し、同日午前九時から本件県道のうち小杉原・加増野間を通行止とすることに決し、本所職員山田了一はその旨県道路維持課、下田警察署等に連絡するとともに、加増野の道路モニター石井聖訓に対し同所の道路情報板に加増野・小杉原間を通行止とする旨の表示をするよう指示依頼した。一方、松崎支所職員鈴木紀有は右協議後午前九時までに、本件県道において路線バスを運行している東海自動車株式会社(以下便宜「東海バス」という。)の松崎営業所に午前九時から小杉原・加増野間が通行止となる旨連絡した。これを受けた東海バスは午前九時から松崎発(堂ケ島発等)下田行の路線バスを小杉原折り返しとする措置をとつた。同日午後零時二〇分頃、松崎支所においても連続雨量が一〇〇ミリを超えたので下田土木事務所長は本件県道を全線通行止とすることに決し、松崎支所職員はその旨東海バス松崎営業所に連絡した。そこで東海バスは午後零時二〇分から下田・松崎間の路線バスの運行を全面的に中止した。

(三)  宮の前橋附近の通行止の標識の設置について

被告は本件事故当日の午前九時までに本件県道の松崎側の入口に当る松崎町宮の前橋附近に通行止の標識を設置した旨主張し、証人鈴木、同山田の各証言中にはこれに沿う部分があるので、以下検討する。

(1)  前記証人鈴木の証言によれば、宮の前橋附近に交通標識を設置することについては被告ないし下田土木事務所の定めはなく、松崎支所の判断により設置されていたことが認められる。そこで、右標識がいかなる場合に設置され、又いかなる区間を通行止とする趣旨であるのかが問題となるが、前記認定のように連続雨量が一〇〇ミリを超えたとき小杉原・加増野間が通行止とされること、及び当日午後零時二〇分頃松崎支所において連続雨量が一〇〇ミリを超え、同支所から東海バスの松崎営業所に右時刻から本件県道が全線通行止となる旨連絡されていることに鑑みれば、右標識は松崎支所において連続雨量が一〇〇ミリを超えたときに設置されるものであり(下田市にある本所において連続雨量が一〇〇ミリを超えても松崎において降雨量が少なければ宮の前橋・小杉原間を通行止とする必要はない。)、又前記証人鈴木の証言により被告の説明する趣旨の写真であると認められる乙第七号証の一、二及び成立に争いのない乙第一〇号証によれば、右標識には通行止の区間を限定する記載がないことが認められ、右事実に前記証人岡村の証言を総合すれば、右標識は本件県道全線(松崎・下田間)を通行止とする趣旨で設置されるものであり、単に小杉原・加増野間を通行止とする趣旨ではないと認めるのが相当である。

しかるに、前記認定のとおり事故当日松崎支所において連続雨量が一〇〇ミリを超えたのは午後零時過ぎなのであるから、午前九時前に松崎支所職員が宮の前橋附近に本件県道全線を通行止とする標識を設置することは、同支所における異常気象時の通行規制として本来ありえないことである。

(2)  更に、原本の存在・成立とも争いのない甲第一二号証、成立に争いのない乙第八号証の二、並びに証人笹本仁吉、同藤池己幸の各証言によれば、東海バスの運転手笹本仁吉は本件事故当日堂ケ島午前八時五五分発下田行の路線バスを運転して定時に堂ケ島を出発し、午前九時四分頃定時に同会社の松崎営業所前を通過してその直後に宮の前橋附近に差しかかつたことが認められるところ、同証人の証言によれば、その時宮の前橋附近の道路上には交通止の標識は出されておらず、同所を通過して下田方向に進行する車両は前記バスのほかにもあつたというのであり、又証人山本福吉の証言によれば、同人は本件事故当日午前八時五〇分頃自動車を運転して宮の前橋附近の道路を通過して勤務先に赴いたが、その時同所に通行止の標識は出されていなかつたというのである。又前記証人萩原の証言によれば、同人は事故当日午前九時に宇久須にある自宅を出発し、自動車で下田へ向かい、午前九時二〇ないし三〇分頃宮の前橋附近を通過したことが認められるところ、同人は同所に前記標識が設置されていたか否かについては見る余裕がなかつた旨証言するが、前掲乙第七号証の一、二、第一〇号証によつて認められる右標識の形状、設置状況及び同人が同所を通つた際の降雨状況(成立に争いのない乙第二号証によれば、松崎における午前九時から一〇時までの時間雨量は一〇ミリにすぎないことが認められる。)に鑑みれば、同所に右標識が設置されていたならばこれを見すごすことは通常考えられず、結局同人が右標識を見る余裕がなかつたとのみ証言し、標識があつたと証言しないことは、同人が同所を通過した際には右標識は設置されていなかつたことを窺わせるものである。

(3)  以上のように、松崎支所において宮の前橋付近に通行止の標識を設置するのは同支所において連続雨量が一〇〇ミリを超えたときであるところ、事故当日の午前九時前にはそのような状況でなかつたこと、証人山本福吉、同笹本は午前八時五〇分ないし九時四分過ぎ頃同所に右標識は設置されていなかつた旨証言し、又証人萩原の証言によつても午前九時二〇ないし三〇分頃右標識が設置されていなかつたことが窺えることに鑑みれば、午前九時前に右標識を設置したとの前記証人鈴木、同山田の各証言はにわかに措信しがたく、他に被害者が宮の前橋附近を通過した午前九時三〇分前後頃に、同所に通行止の標識が設置されていたと認めるに足りる証拠はない。

(四)  小杉原の道路情報板の表示について

前記証人山本福吉は、午前九時三〇分頃小杉原の道路情報板の表示は通行注意となつており通行止にはなつていなかつた旨証言し、又前記証人笹本は、右道路情報板にいかなる表示がでていたか覚えていないが通行止の表示がでていれば通行しなかつたはずである旨証言する。しかしながら、

(1)  まず、前記認定の、本件事故当日の午前八時三〇分頃、下田土木事務所本所において連続雨量が一〇〇ミリを超えそうになつたので、午前九時から小杉原・加増野間を通行止とすることにしたこと、かかる場合松崎支所はその旨を道路モニター、バス会社等に連絡することとなつていたこと、松崎支所職員は東海バスに午前九時前に右連絡をし、東海バスは松崎発の路線バスを小杉原折り返しとしていること、以上の事実に前記証人鈴木の証言を総合すれば、松崎支所職員鈴木紀有は午前九時前に小杉原の道路モニター木伏栄に対して同所の道路情報板の表示を通行止とするよう電話で指示依頼したと認めるのが相当である。

(2)  次に、右鈴木から指示依頼を受けた木伏栄が小杉原の道路情報板に通行止の表示をしたか否かが問題となるが、

(イ) 前記認定のように、小杉原・加増野間が異常気象の際通行止とされるのは同区間には落石等危険な箇所が五か所あるためであること、道路モニターは公的な委嘱を受け、一定の報酬を受けていること等に鑑みれば、道路モニターが土木事務所から九時以降通行止にする旨の指示依頼を受けながらこれを九時以降まで放置することは通常考え難いのみならず、証人木伏栄、同元子は松崎支所職員から右指示依頼を受けて速やかに自宅から四〇〇メートル離れたところにある道路情報板に通行止の表示をした旨証言していること、

(ロ) 証人山本和弘は、本件事故当日下田から松崎へ向けて路線バスを運転して午前九時三〇分頃加増野に至つたところ、同所の道路情報板は通行止となつていたが、更に小杉原まで運転し、午前九時四〇分頃同所の道路情報板をふりかえつて見たところ、通行止の表示となつていた旨証言していること(午前九時から通行止の表示をする旨指示依頼を受けた木伏が九時以降に通行止の表示をすることは通常考えられないから、午前九時四〇分頃通行止の表示となつていたのであれば、午前九時頃にも通行止の表示となつていたと推認される。)

以上(イ)(ロ)の事実を総合すれば、小杉原の道路モニター木伏栄は、本件事故当日の午前九時前に松崎支所職員の指示依頼に従い同所の道路情報板に通行止の表示をしたと認めるのが相当であり、これに反する前記証人山本福吉、同笹本の各証言は右認定を覆えすには足りず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3)  右認定のように午前九時前に小杉原の道路情報板には小杉原・加増野間が通行止である旨の表示がなされていたのであるから、被害者が同所を午前九時四〇分前後頃通過した際には既に同所には通行止の表示がなされていたことになる。

(五)  しかして、前記認定のように被告には本件道路の管理に瑕疵があつたものであるが、かかる場合においても被告において右瑕疵より生ずる危険を防止するため十分な通行規制措置を講じた場合には、結局、道路の管理には瑕疵はないということができるので、被告が小杉原においてなした通行規制が本件道路の瑕疵より生ずる危険の防止措置として十分なものといえるか否かにつき、以下検討する。

被告によつて小杉原の道路情報板に小杉原・加増野間を通行止とする旨の表示がなされたのは、同区間内には、異常気象時に落石等による危険箇所があるので特に同区間のみを通行止とするためであり、加増野より下田寄りの地点から下田方面に向つて進行することを規制する趣旨でないことは勿論、小杉原より松崎寄りから進行してきた者に対しても、小杉原・加増野間について県道下田・松崎線を通らず他の迂回路(本件におけるその有無は別として)を通つて加増野に至り同所より下田方面に向け進行することは規制しておらず、又右通行規制にもかかわらず、県道下田・松崎線の小杉原・加増野間を通過した者に対しても、同区間内における事故については別異の取扱いをするとしても、一旦同区間を通過して加増野・下田間を通行することについては、前記の加増野より下田寄りの地点から進行する者や迂回路を通つた者と同様に何ら通行規制していないと解すべきである。

以上によれば、被告が小杉原においてなした通行規制が、これを見ることのできない加増野より下田寄りの地点から下田方面に向けて進行する者に対し、本件道路の危険防止措置として意味を有しないものであることはいうまでもなく(小杉原より下田寄りの地点から下田方面に向けて進行した者も小杉原の通行規制を見ることができない点において右と同様にみうる。)、又通行規制を認識したうえで迂回路を通行して加増野に至り同所より下田方面に向けて進行した者に対しても、本件道路の危険防止の措置は何らなされていないことになるし、更に小杉原より松崎寄りから下田方面に向け進行し、小杉原の通行規制を認識したうえで本件県道の小杉原・加増野間を通行して加増野に至り、同所から下田方面に向けて進行した者に対しても、小杉原の右通行規制は小杉原・加増野間の道路の危険防止の措置としては十分であるといえても、加増野・下田間の道路の危険防止措置としては十分なものとはいい難く、被告としては本件道路についても通行止の措置をしてはじめて当該箇所の危険防止の措置をした、即ち道路の管理に瑕疵がなかつたといえるのである。従つて、右措置を講じていない本件については、被告には道路の管理に瑕疵があるものといわざるをえない。

(六)  ところで、自動車運転者としては交通標識に従うべき義務があり、本件においても被害者が小杉原の右通行規制を無視ないし見すごしたことが本件事故発生の一因をなしているのであるから、この点は過失相殺として考慮されるべきである。しかして、前記認定の小杉原の道路情報板の形状及びその設置状況よりすれば、右は通行規制の表示板として十分なものと認められるが、一方路線バスの運転手である山本和弘、笹本仁吉でさえ道路情報板の表示を無視ないし見すごして通行し、その他相当数の車両が右表示を無視ないし見すごして通行していたことをも考慮すれば、被害者の過失の割合は四割と認めるのが相当であるので、本件事故により同人の蒙つた損害からその四割を過失相殺することとする。

三  損害

1  被害者の逸失利益

被害者が本件事故当時三三才であり、静岡県賀茂郡賀茂村にある宗教法人城福寺の住職であつたことは、当事者間に争いがなく、前記原告本人尋問の結果及び同尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一五ないし第一八号証、第二三号証(但し、甲第一八号証については原本の存在・成立の真正ともに認められる。)によれば、被害者は右住職として月八万円の収入を得ていたほか、瑞泉寺、天池庵等他寺における役僧としての収入が昭和四九年一月から同五一年六月までの間に一六九万円(年収に換算すると六七万六〇〇〇円)、その他雑収入が右同期間内に七万九四三〇円(年収に換算すると三万一七七二円)あり(その詳細は別表(一)記載のとおりである。)、右収入を合算すると被害者の年収は一六六万七七七二円〔(676,000+31,772)+(80,000×12)= 1,667,772 〕となることが認められる(なお、甲第一九号証には城福寺の壇家からの米、果物等の付届の明細が、甲第二〇号証には布施収入の明細が記載されているが、これらはいずれも宗教法人域福寺の収入であつて被害者の収入ではないとみるのが相当である。)

被害者の生活費はその職種等に鑑み収入の三〇パーセントとみるのが相当であり、生活費は五〇万〇三三一円(円未満切捨)となるから、これを差し引くと結局被害者の年間収益は一一六万七四四一円となる。

被害者の就労可能年数はその年令及び職種に鑑み、三七年とみるのが相当である。

よつて、この間における純利益を算出しライプニツツ式計算方法によつて民法所定年五分の割合による中間利息を控除すると、被害者の得べかりし利益の現価は一九五〇万九四四二円となる。

2  被害者の慰藉料

本件事故の態様及び本件道路の管理の瑕疵の程度に鑑みれば、本件事故によつて被害者が蒙つた精神的苦痛に対しては、金二〇〇万円をもつて慰藉するのが相当である。

3  過失相殺

被害者が本件事故によつて蒙つた損害に前記のとおり四割の過失相殺をすると一二九〇万五六六五円となる。

4  相続

被害者の損害賠償請求権を原告ら主張のとおりの割合で原告ら(但し、原告長島寿子を除く。)が承継したことは、当事者間に争いがない。

従つて、右原告らが承継取得した額は、各四三〇万一八八八円(円未満切捨)である。  5 原告らの慰藉料

前記2記載の諸事情、被害者と原告らとの身分関係(被害者と原告らの身分関係については当事者間に争いがない。)及び本件事故における被害者の過失の程度に鑑みれば、本件事故によつて蒙つた精神的苦痛に対しては、原告長島誠恵、同寿子につき各一〇〇万円、同宗紀、同多恵につき各五〇万円をもつて慰藉するのが相当である。

6  弁護士費用

本件事案の内容、訴訟遂行の難易度、認容損害額に照らすと、各原告について認容した額のほぼ一〇パーセントにあたる左記金額を弁護士費用として被告に負担させるのが相当である。

原告長島誠恵、同宗紀、同多恵につき 各五〇万円

同寿子につき 一〇万円

四  結論

以上のとおりであるから、被告は原告長島誠恵に対し五八〇万一八八八円、同宗紀、同多恵に対し各五三〇万一八八八円、同寿子に対し一一〇万円、及び右各金員に対する本件事故発生の翌日である昭和五一年七月一二日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払をすべき義務がある。

よつて、原告らの請求は、右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九二条、八九条、九三条を適用し、仮執行の宣言については相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 松岡登 紙浦健二 松丸伸一郎)

(別紙)図面〈省略〉

別表(一)・(二)・(三)〈省略〉

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